Jackson5(ジャクソン5)

マイケルジャクソンが在籍していた5人組みグループ!

マイケル・ジャクソン


■マイケル・ジャクソン (Michael Jackson, 1963年-1984年) 、ヴォーカルおよびパーカッション

マイケルはジャクソン5の中で明らかに最も人気のあるメンバーであった。兄弟の中でソロ活動で目立った活躍をしたのはマイケルのみであり、そして世界でもっとも有名な歌手のひとりとなった。仕事と家族は別と言う考えが強く、ソロとなってからも度々出たはジャクソン5再結成の話や家族との仕事は承知しなかったが、ツアーでは必ずジャクソン5時代のヒットメドレーを曲目に入れていた。再結成はマイケルのデビュー30周年記念で実現した。マイケルの死後、未発表曲「ディス・イズ・イット(This Is It)」をジャクソンズのバックコーラスをつけて発売することになった。これは、2009年10月28日公開の映画マイケル・ジャクソン THIS IS ITのエンディングに使用され、同日に発売されるサウンドトラックに収録されている。


初期


ジャクソン5のジャクソン兄弟はインディアナ州ゲーリーの労働階級の家の子供として生まれた。母のキャサリンはエホバの証人の信者であり、息子たちを入信させている。製鉄所の従業員であった父のジョーは、彼の弟のルーサーと「ファルコンズ (The Falcons)」というR&Bのバンドをやっていた。ジョーはしつけに非常に厳しい人物だったようで、彼の息子たちの多くは、父から体罰を受けたことを後に述懐している。

そんな子供達は音楽にはけ口を見出すことになる。ジャッキー(1951年生)、ティト(1953年生)、ジャーメイン(1954年生)の兄3人は父のギターを無断で借りてラジオにあわせて演奏し、マーロン(1957年生)とマイケル(1958年生)も父には黙ってそれを見ていたという。ジョセフはギターの弦が切れていることからこれに気づく[3]。これに初めは怒ったものの、息子たちの音楽の才能に気づいたジョセフは彼らに音楽活動をさせることを決意する。

1962年、ジャッキー、ティト、ジャーメインの3人は、近所に住んでいたミルトン・ハイト(ドラム)とレイノー・ジョーンズ(キーボード)とともに、「ジャクソン・ブラザーズ (The Jackson Brothers)」の名でゲイリー周辺で演奏を始める。ジョーは当初はパートタイムで、その後は製鉄所での仕事をやめてフルタイムでマネージャーとして活動した。ジャーメインがリード・ヴォーカル及びベース、ティトがギターを担当していた。

1963年にはマーロンとマイケルがそれぞれタンバリンとボンゴの担当として参加。すでに歌でも踊りでも頭角を表していたマイケルが[4]1967年半ばまでにはジャーメインに代わってリード・ヴォーカルを務めるようになる。また、ティトの中学校の管弦楽教師であるシャーリー・カートマンがジャクソン兄弟の才能に気づき、彼らに指導をしていた。そのころまでに彼らは「ジャクソン5 (The Jackson Five)」と名乗るようになった。

このころに、インディアナ州で広範囲に渡るツアーを行った。1966年に地元で行われた大きなタレントショーで、テンプテーションズの"My Girl"をマイケルをリード・ヴォーカルとして歌い優勝したのち、イリノイ州シカゴでプロとしての演奏を始め、アメリカ中東部を活動の場とする。これらのツアーは黒人クラブをまわるいわゆるチトリン・サーキットと呼ばれる形態のもので、まだ幼い彼らはストリップショーなど成年向けの舞台の前座を務めなければならないこともあった。
シャーリー・カートマンによってジャクソン5はゴードン・キース主催の地方レーベル「スチールタウン (Steelwotn)」との契約を得て、1967年に初めてのレコーディングを行った。最初のシングル"Big Boy"は地域的なヒットとなった。このころ、ミルトン・ハイトとレイノー・ジョーンズに代わってジョニー・ジャクソン(血縁関係はない)をドラムに、ロニー・ランシファーをキーボードに迎えている。

ジャクソン5はこのころから多数のファンを獲得していた。サム&デイヴも彼らには注目しており、このことがハーレムのアポロシアターで行われた「アマチュア・ナイト」で脚光をあびる一助となった。ジャクソン5は1967年8月13日にアマチュア・ナイトで優勝し、モータウン・レコードのアーティスト、グラディス・ナイトの目に止まる。ナイトはモータウン社長のベリー・ゴーディにジャクソン5を推薦したが、当時ゴーディは同じく10代だったスティーヴィー・ワンダーと契約しており、未成年を2組も抱えることに法律面などからの躊躇があり、このときのモータウンとの契約はならなかった。


ジャクソン5(全てモータウンからの発売)



1969年 帰ってほしいの (I Want You Back)
1970年 ABC
1970年 小さな経験 (The Love You Save)
1970年 アイル・ビー・ゼア (I'll Be There)
1971年 ママの真珠 (Mama's Pearl)
1971年 さよならは言わないで (Never Can Say Goodbye)
1971年 シュガー・ダディ (Sugar Daddy)
1972年 窓辺のデート (Lookin' Through the Windows)
1972年 ドクター・マイ・アイズ (Doctor My Eyes)
1974年 ダンシング・マシーン (Dancing Machine)
1988年 帰ってほしいの [リミックス]